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「戦後80年」を迎えて

今年の夏は「戦後80年」「被爆80年」という大きな節目を迎えました。TV番組でもさまざまな特集が組まれ、改めて平和への思い、核廃絶への道筋について考えさせられました。広島14万人、長崎7万人の犠牲者を出した原爆。人間らしく死ぬことも許さない残虐な大量殺戮兵器です。原爆投下から11年目、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が誕生しました。「今日までだまって、うつむいて、わかれわかれに、生き残ってきた私たちが、もうだまっておれないでてをつないで立ち上がろう」(結成宣言)と集まり「原水爆の禁止」を強く訴えました。被爆者の証言は世界を動かす大きな力となり、ノーベル平和賞を授与されました。世界中の核兵器禁止や平和を願う多くの市民、団体、政府の長年の努力で核兵器禁止条約が成立し、国際規範としていよいよその効力を示しています。しかし、一方では米ロを中心に約2000発の核兵器が数分以内に発射できる警戒態勢にあると言われています。ロシアの核兵器使用の威嚇、核兵器国間の軍事紛争、イスラエル・アメリカによるイラン核施設への攻撃など核兵器をめぐる危険な動きも激しくなっています。核兵器禁止を求める運動は“待ったなし”です。にもかかわらず日本政府は核兵器禁止条約には背を向け続けています。

 戦後の日本国民の強い決意が込められた日本国憲法を改めて読んでみました。

「日本国憲法前文 ~~日本国民は、恒久の平和を念願し、~~平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。~~日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」とし、第9条で「戦争の放棄」を宣言します。

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 この条文について「アメリカから押しつられた憲法だ」という人たちがいます。しかし、長年の研究で発案者は当時の首相、幣原喜重郎であり、彼が自分の発案を国会でうまく通すためにマッカーサー元帥に「アメリカ側から提案したことにしてほしい」と頼んだということが明らかになっています。「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案に驚きましたが、首相に私も心から賛成であると言うと、首相は、明らかに安どの表情を示され、私を感動させました」とマッカーサーは述べています。また「(9条は)世界に対して精神的な指導力を与えようと意図したものであります。本条は、幣原首相の先見の明と経国の才志と英知の記念塔として、朽ちることなく立ち続けることでありましょう」とたたえています。

 幣原は原爆よりもさらに強力な破壊的新兵器も出現するであろう時に、「軍備の増強には意味がない」として、「世界は早晩、戦争の惨禍に目を覚まし、結局私どもと同じ(戦争放棄の)旗を翳(えい)して、遥か後方から付いてくる時代が現れるでありましょう」と述べました。

 理想と現実が乖離しているとき、何とか現実を理想の方向へ引き戻そうという力と「現実離れした理想」を現実の方向へと引きずり下ろそうという力がせめぎ合います。私たちはこの国をどちらへ向かわせればよいのでしょうか。これは私たち一人一人の問題です。

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