信心というのは 凡夫が
仏さまと同じ命を
共有するという出来事
という、大峯顕師のことばです。この方は俳句の世界でも有名で、「毎日俳壇」の選者を務めておられました。先ほどの法語が著されている『生命環流』という書物の中に、ご自分で解説されている句をご紹介します。
「虫の夜の星空に浮く地球かな
ある秋の夜、自宅の庭で、松虫や鈴虫が鳴いている声を聞きながら満天の星空を眺めていたら、自分がいるこの地球もいろいろな虫たちと一緒に星空の真っただ中に浮いているのだという感じが急に迫ってきたので、それを詠んだのです。」と解説されています。師は「(俳句の)十七文字の中に、全宇宙がこもるような場合がある」と述べておられますが、「虫の夜の~」の句にも無限とも思える宇宙の広がりの中で、孤独ではない私という存在の不思議さに心打たれている様子がうかがえます。夜の闇を「虫の夜」と感じるのは、姿は見えなくとも虫の声がその存在を知らせ、自分が孤独ではないことに気づかされているのではないでしょうか。虫の音や満天の星のように、外からのはたらきかけによって孤独が打ち破られているのです。
浄土真宗の信心は、私からの働きかけではなく、阿弥陀如来の切なる願いが南無阿弥陀仏の声となって私を喚び続けてくださっている、その声に気づかせていただくことです。「信心よろこぶそのひとを/如来とひとしとときたまふ/大信心は仏性なり/仏性すなはち如来なり」という親鸞聖人の和讃にもあるように、阿弥陀如来を信じお念仏をよろこぶ人は如来に等しいのです。煩悩をたくさん抱えたままの私が生きているというのは、如来さまの命を生きさせてもらっているということです。南無阿弥陀仏の大いなる願いに喚び覚まされることによって、その無限の命に生きていくものとしての人生が生まれるのです。
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