手を合わせ 仏さまを拝むとき わたしのツノを 知らされる
今月は波北彰真師が妙好人浅原才市さんを紹介する形で書かれたことばの一部です。才市さんが自分の肖像画を描いてもらうときに2本のツノを描いてもらうように頼んだという話を紹介し、「ツノは心の姿/むさぼり・腹立ち・おろかさ/他人のツノはよく見えるが/自分のツノは気がつかない/手を合わせ仏さまを拝むとき/私のツノを知らされる」と言葉を綴られています。
「むさぼり・腹立ち・おろかさ」というのは私たちが抱える苦しみの原因を生み出す「三毒の煩悩」のことです。「むさぼり」は、執着すること、自分の都合のいいものを欲しがる我欲のことです。しかし、自分のものになっても、いつかは手放したり別れたりしていかねばならず、そこで苦しみが生じてくるのです。「腹立ち」は憎しみで自分の気に入らないものを外へ追い出そうとする心です。次第に激しく燃え上がりいずれはすべてを焼き尽くしていきます。「おろかさ」は知的な煩悩だと言われ、無知ということをさしますが、ただ智慧がないということではなく、真実を知らないということ、諸行無常という道理に暗く、だから迷い苦しんでいるということです。
この私が煩悩の流れの中で、孤独の思いを抱きつつ迷いの世界に沈んで生きています。そういう私たちをなんとしても仏に育てあげてやりたい、と慈悲の心を仏法に込めて届けてくださっているのです。その事に手を合わせ、私のツノを誤魔化さずに見つめて生きていきたいものです。
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