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二月のことば (法語カレンダー)

「名号」は私たちの地獄に響く阿弥陀のいのち(『月々のことば』より)

この言葉は作家でもある高史明氏が自身の法話の中で語られたものです。氏は一人息子の真史さんが十二歳で自死するという深い悲しみの中で『歎異抄』を縁として親鸞聖人の教えと出遇いました。それからは多くの人々に真のいのちのあり方や生きる意味を問い、阿弥陀仏の願いに生きることの尊さを伝え続けました。この法話では、自力(自分中心の世界)に固執して人間が暗闇を作り続けることの罪業の深さとそれに対する阿弥陀仏による絶対他力の救済が語られています。そして、キーワードとして蓮如上人の『御文章』を引いておられます。

「弥陀如来の悲願に帰し、一心に疑いなくたのむ心の一念おこるとき、すみやかに弥陀如来光明をはなちて、その人を摂取したもうなり。・・・たとい名号をとなうるとも、仏たすけたまえとはおもうべからず。ただ弥陀をたのむ心の一念の信心によりて、やすく御たすけあることのかたじけなさのあまり、如来の御たすけありたる御恩を報じたてまつる念仏なりとこころうべきなり(寛正二年三月)」

 このお手紙が出された「寛正二年」とはいったいどのような年だったのでしょうか。この年の二年前、1459年は全国的な干ばつや京都への台風直撃などで西日本を中心に大飢饉が発生した年です。翌年にも大雨による水害と干ばつが交互に訪れた上に虫害と疫病も加わって、飢饉が全国に拡大していました。台風の直撃によって加茂川が氾濫して多くの家屋が流出し数え切れないほどの死者が出たほか、二年後には飢饉が深刻化し京都市中で82,000人もの餓死者が出たと資料には記されています。あの加茂川が遺体によって塞き止められ川の水が止まるほどだったそうです。街中に死臭が漂い病人は苦痛にのたうち回り、死を待つ人々のうめき声が街中を覆っていたでしょう。それは死に向かう恐怖と不安の「助けてください」という祈りの声だったに違いありません。このような惨状の中で蓮如上人は先のお手紙を出されたのです。何という厳しい言葉でしょうか。

 高史明氏は「ただ弥陀をたのむ(阿弥陀仏にまかせる)こころの一念の信心」によってのみ、人は救われるのだと語られます。同時に自分をたのむ(人間中心の)心によってこの世を地獄と化し、人々は鬼となってこの世を果てなき暗闇の世界へと墜落させていくのだともおっしゃいます。一人息子の真史さんを12歳という若さで自死で喪ったとき、深い悲しみの中で氏は自らに問われました。中学生になった真史さんに父親として「今日から君は中学生だ。これからは自分のことは自分で責任を取りなさい・・・他人に迷惑をかけないようにしなさい」と励ましの言葉を贈った自分。しかし、その人間中心の一言が彼を地獄に追い込んだのではないか、と自らを責めました。何故あの時「人は一人では生きていけない、迷惑をかけねば生きていけない存在なのだ」と言えなかったのか。ここに自らの無明の根本があるのだと気づかれたそうです。その後親鸞聖人の教えと出会われてから、高氏は「生きる」という世界に捕らわれ苦悩する若者たちに「生かされているいのち」への気づきを強く促されます。それは「助けてほしい」と叫ぶより先に「かならずたすける」という阿弥陀仏のいのちの叫び(名号)がもう既に私たちの地獄に響いているという真実の誘いなのです。


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