4月の常例法座から「正信偈のこころ」というテーマで新しくスタートしています。浄土真宗で最も大切にしているお聖教『正信偈』を皆さんとともに少しずつ味わってまいります。『正信偈』は親鸞聖人が60~70歳くらいに書かれたもので、お釈迦さまの説かれた浄土の教えを信認し、それに帰依することを勧めた讃歌です。
お釈迦さまは紀元前383年に亡くなられたと考えられています。その後お弟子さま方が、その教えを残しておこうと経典を編集し始めます。そしてまた、仏塔を建てお釈迦さまのお墓を祀りながら教えを聞き続け、「お釈迦さまは亡くなられたけれども、今もこうして自分たちを導いてくださっている」「釈尊のさとり、教えは永遠のものである」と考えられるようになっていきます。この「釈尊の教え」=「限りない、量り知ることの出来ない永遠の(無量の)光といのち」という捉え方が「阿弥陀」という言葉に置き換えられていきます。ですから、阿弥陀仏というものがどこかに存在していて、その存在を確認して信じましょう、ということではないのです。お念仏を申しながら、仏法を聴聞しながら、私のいのちの中におられる仏さまが思い知れてくる、仏さまの「いのち」の中に私は今包まれて生きているのだな、ということを実感できるのが仏教の「信心」です。ここが仏教が「目覚め」の宗教であると言われる所以です。その正しい信心を喜ばれたのが「正信偈」のおこころです。しかし、私たちは、お風呂に入れば毎日垢が出るように、生きている限り迷い続けるしかありません。少しわかったような気がしてもすぐにまた迷いの世界へ滑り落ちていきます。この繰り返しの中で、現実の私があるべき理想の私に少しずつ少しずつ育てていただく、これが仏法を生きるということです。是非機会を作ってお寺へ足を運んでいただき、お聴聞ください。
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