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執筆者の写真浄光寺

報恩講法要

おかげさまで今年も11月24日~26日の3日間、無事に報恩講法要が勤められました。いつもの常例法座にはなかなかお参りできない方や、この一年に新しくお寺とご縁を結ばれた方も含め、五座でのべ80名を超える多くの皆さんのお参りをいただき、ありがたいご縁とさせていただきました。私に届いてくださっている仏さまの願いである「南無阿弥陀仏」へのご恩を報じさせていただく、という「報恩講」の意味を加藤順教先生にお取り次ぎいただきました。

 仏法というものが、死んだ後のためのものではなく、まさにいま、ここを生きている私の命が本当に輝く命へと生まれていくためのものであるという、親鸞聖人が御一生をかけて私たちに伝えようとしてくださったことを、力強いお言葉でお話しいただきました。

加藤先生は親鸞聖人の教えの根本にある「自然法爾」ということを強調されました。私たちのはからいを超えた天地宇宙を貫く法則である「自然」を私たちに知らせる手段、方法として阿弥陀仏というものが教えとして届いている。諸行は無常である。諸法は無我である。みんなが関わり合いながら生きている。そして生きているということはやがて死んでいくということ。こういう天地の自然の道理を私たちに教えるのが阿弥陀仏の教えなのだ、というのが「自然法爾」ということばです。そのような自分の有り様をお念仏の教えを通して聞かせていただきながら、その道理に目覚めていくのが念仏者の生活です。そして、お念仏しながら、このお念仏は仏さまが私の口を通して喚んでおってくださるのだと味わえる世界が「信心」です。「無量のいのち」「無量の光」の中に包まれて、そのいのちと共に生きているということに目覚めるということを繰り返しながら生きていくのが、浄土真宗の信心に生きる姿なのでしょう。




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