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執筆者の写真浄光寺

赤ちゃんがきた Ⅱ

 2年半振りの私事ですが... 7月26日13時22分、新しい命を授かりました。男の子です。名前は悠愛(はるあ)と名付けました。坊守(妻)のお腹が臨月に入ってから急に大きくせり出してきたとは思っていましたが、3333gのしっかりした赤ちゃんでした。どうしてももう一人子どもが欲しくて長期間、不妊治療に取り組み、諦めかけた頃にやっと奇跡的に授かった子です。何とも言えない愛おしさを感じています。

 同じ日の朝早く、ご門徒の女性から「今朝娘が往生しました」とご連絡をいただきました。長期間の闘病生活の末でした。我が子を先に見送らなければならない悲しさがいかばかりかと考えると本当につらい葬儀でした。そして、その数時間後に生まれた我が子を抱きながら、いのちの不思議と同時に新しいいのちも間違いなくいつ訪れるかはわからない死に向かって歩み出したのだという現実を改めて考えさせられました。

 健康は幸せで病気は不幸、生まれてくることは幸せで年老いて死んでいくことは不幸。仏教ではそのように物事を二元的に捉えません。様々な苦悩を抱えた、その私の命の上にかけられた大いなる願いの声を聞き届けていく中で、その苦悩を乗り越えてゆく力と勇気をいただいて感謝と報恩の人生を歩ませていただくのが仏教徒の生き方です。我が家にやってきれくれた小さな命、一生懸命に生きようとする姿を通して、その存在の全てをかけて、命の重みと尊さとかけがえのなさを教えてくれています。

 考えてみれば私たちは生まれてきた時に、生きるために必要な準備を自分では何もせずに生まれてきました。大地も水も空気もすべて用意されていました。そのことに感謝の一つもしたことはありませんが、いのち終わった後にはお浄土という世界までも用意されています。こちらから頼んだり願ったりしなくても、すべてととのえられた人間としてのいのちを生きていく尊さを喜び、生かされて生きる喜びを味わって生きていきたいものです。私のいのちはどんなにか細い脆弱なものであっても私自身のものです。と同時に絶対に私だけのものではありません。預かりものとしてのいのちであるといえるでしょう。赤ん坊も私の子であると同時に仏さまから授かった大切ないのちです。

 赤ちゃん誕生と同時に、私たちも親としてまた新しく生まれさせていただきました。この子と共に、仏法に我が身を照らしながら生きていく生活を改めて歩ませていただきたいと思っています。改めまして、ベビー共々どうぞよろしくお願いいたします。



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