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執筆者の写真浄光寺

赤ちゃんがきた!

私事ですが...2月4日23時05分、新しい命を授かりました。女の子です。名前は寿帆(ことほ)と名付けました。胎児の経過を診てくださっていたお医者様が、早い段階で心臓の異常を見つけてくださり、生まれたらすぐに手術しなければならない、ということが前もってわかりました。心臓専門の先生がおられる病院に妻は緊急入院し、ヒヤヒヤしながら出産を迎えましたが、なんとか無事に2368グラムで生まれてくれました。赤ちゃんは予定通り生後4日で大きな手術を受け、まだしばらくは病院で術後の経過を見ている段階です。時節柄、私たち親もなかなか直接会わせてもらえず、その代わりに2日に1度はZoomで「リモート面会」をさせていただいています。毎日毎日、早く我が家に迎えたい、早くお乳を飲ませてやりたい、早くお風呂に入れてあげたい、と気をもみながら、お医者様からの経過説明の連絡に一喜一憂する日々です。

 妻の入院期間中、産科の病棟には様々な妊婦さんが入院しておられました。一つの命を授かるということが当たり前のことではなく、これほどの苦難を乗り越えて生まれてくる命のなんと多いことかと、改めて知らされました。しかも、その苦難を「なぜ自分だけがこんな目に遭うのか」と受け止めるのではなく、あくまでも尊い命を授かった喜びや親にさせていただいた感動とともに受け止めていく姿に、妻は勇気をもらったようです。超低体重児を何回も出産されたあるお母さんは、「普通の母親が当たり前にやり過ごしてしまう小さな事一つひとつに感動させてもらえる」と受け止めておられたそうです。

 健康は幸せで病気は不幸、生まれてくることは幸せで年老いて死んでいくことは不幸。仏教ではそのように物事を二元的に捉えません。様々な苦悩を抱えた、その私の命の上にかけられた大いなる願いの声を聞き届けていく中で、その苦悩を乗り越えてゆく力と勇気をいただいて感謝と報恩の人生を歩ませていただく、そういう教えです。我が家にやってきれくれた小さな命、医学の進歩がなければ生まれてくることができなかった命ですが、一生懸命に生きようとする姿を通して、その存在の全てをかけて、命の重みと尊さとかけがえのなさを教えてくれています。

 赤ちゃん誕生と同時に、私たちも親として生まれさせていただきました。この子と共に、仏法に我が身を照らしながら生きていく生活を改めて歩ませていただきたいと思っています。改めまして、ベビー共々どうぞよろしくお願いいたします。




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